歴史



当寺は福井の永平寺・横浜の総持寺を
ご本山とする曹洞宗のお寺であり、
齢松山福壽院と言います。
開創された年は定かではありませんが、
寛永年中に日州関朔和尚によって開かれ、
安永三年佛界性見大和尚を開山に、
諏訪高島藩二の丸初代家老諏訪美作守頼雄公を開基とし、
下って八代諏訪頼保(大助)公を中興開基として開闢されました。
写真左下は開基諏訪頼保公とその妻子をまつる墓所でありますが、
三の丸家との政争から天明3年御家断絶の憂き目に遭い、
7月3日処刑されてしまいます。
罪人と言うことで表立ってまつることさえ出来ず、
墓標の石は自然石を二つに割り、
臨検があれば重ねて隠したであろう造りに成っています。 

また境内には天保12年に奉安され、
地元をはじめ諏訪の各地からの信仰を集める
阿菊(おきく)稲荷社があります(写真右下)。
百名余りからなる講員により毎年2月には初午大祭が盛大に行われ、
赤い鳥居が奉納建立されます。


境内の様子

曹洞宗 齢松山 福壽院の本堂は、築二百年(文化7年)を迎える。
諏訪百番霊場の中5番札所です。ご本尊様は釈迦三尊佛です。

  
平成19年竣工の微笑閣(客殿)中央松より奥に研修道場を望む・微笑閣内部。
落慶法要等の詳細はこちら

 
諏訪88ヶ所霊場88番札所諏訪33観音霊場12番札所の観音堂。
本尊、准胝観音。厄除、除病、除災求児、延命に、ご利益があります。



  
研修道場棟1階は雲聚堂。坐禅や、様々な研修の道場です。



  
研修道場棟2階は聯芳堂。
福壽院歴代の住職の位牌及び福壽院全檀徒のご先祖様の
位牌を祀る聖域で、建物は3層3階建です。
平成20年10月31日聯芳堂(位牌堂)に
全檀徒のお位牌が祀られ、開眼法要が厳かに執り行われました。
どうぞ皆様ご参詣の折、位牌堂にお参り下さい。



平成20年8月6日開山堂に道元禅師様の御木像が修復を終え、帰って参りました。
残る五体の御木像「御開山様」「二世様」「三世様」「達磨様」「大権修利様」も
毎年一体づつ修復し、順次甦って参る予定です。


 
平成21年2月5日の大安を期し、
修復なったご開山「仏界性見大和尚」御木像が奉安されました。
昨年10月米沢台の佐藤様のご遺志を賜り甲府長谷川法衣店を通じ、
京都の仏師に修復を依頼しておりました。
左が修復前のお姿、右が修復後のお姿です。感謝一入。

 

平成21年4月、昨年のご開山木像の修復に続き
修復をお願いした当山二世「提山見全大和尚」御木像が、
9月14日見事修復を終え開山堂に奉安されました。
左の写真は修復前。右が修復後のお姿で、とても綺麗です。



平成22年5月に修復をお願いした当山三世「中興冠山揚法大和尚」の御木像が
9月1日に修復を終えて御帰山なされ、聯芳堂に奉安されました。
色や模様は作られた当時と同じように再現して頂いたとのこと。
緋衣の色が大変鮮やかで綺麗です。



 

 
庫裡等建設事業前の境内と庭園   (H16年7月22日)

御挨拶

福壽院19代住職 狭間天道です

福壽院は安永3年に開山される以前に、
五代の前住職という方がおられました。
開山より後私で19代になります。 
福壽院の歴史の中にも述べております様に、
創立年代は特定できておりません。
今日までおよそ400年、曹洞宗の法灯を伝えてまいりました。
その曹洞宗を日本に伝えられた、
道元禅師が先ず示された、『普勧坐禅儀』は、
我が曹洞宗の根本布教書といっても過言ではないと思います。
それ程に坐禅を大切にする宗派であります。
とかく現代の様な情報過多の現況に在っては、
己を見失わずに過ごす事のほうが難しい事と思います。
私たちは、まさにそのような時代を今生きているわけであります。
仏教は、己を他人と比較したり、競ったりせず、
己を見つめ、己を向上へと導く努力を勧める教えです。
道元禅師は、仏教と言わず、仏道という言葉を好んで用いました。
己をしっかり見つめ自己向上のために生きること。
すなわち、坐禅こそ仏道であります。
ひとりでも多くの人々がこの寺に集い、
自己の研鑽をされ、明るく楽しく、そして何より、
ご自分の命を充実して生かすことができる生き様を
見付けて頂きたいと願っております。
福壽院はその意味で門戸を開き放っています。
坐禅会に、また婦人会に是非お出かけ下さい。